焼肉は飲み物

ドリフェス!は万病に効きます。

元気な未亡人のひとりごと

【このひとりごとのあらすじ】
だいすきなコンテンツである5次元応援プロジェクト・ドリフェス!で空いた穴が未だに埋まらずその辺で隠居してる弱火未亡人の懺悔です。陰気でジメジメして暗く長く重いよ。気をつけなね。

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「終わることに騒ぐなら、どうしてコンテンツ生きてるうちにもっと課金なり何なりしなかったんだろう」
原文ママではないが、こういった趣旨のツイートが頭に残った。イケるっしょのタグがトレンド入りし自分のTLが喜びに湧いた日のことだったと思う。所謂ド民じゃなくて外野の誰かのツイートだ。匿名の誰かにとって肯定的なものが匿名の誰かにとって否定的だったりするのは当然であるが、今も頭に残っているツイートである。ここのところは思うことがあったのでぽつぽつと書きしたためてみる。

というのも先日、自分が心血注いで愛したプロジェクトが活動休止を迎えた。名前を「ドリフェス!」という。ドリフェス!との出会いをはっきりいつとは覚えていないがアプリの事前登録をしたことは覚えている。同じ親会社が運営するアイカツ!の男版かなと興味深く思ったような気もするし、オシャレ魔女ラブandベリーなるカードゲームに触れていた為に着せ替えゲームに対して妙に懐かしく思っていた気もする。あれは他社のゲームだけどね。元から音ゲーがすきだから気分転換にでもと思ったのかもしれない。今でこそ片桐いつきに熱狂している自分が事前登録の人気投票で佐々木純哉に入れたことが忘れられない。いやだってみんなすきでしょミスターアイドル。

アプリがサービス終了し、以来sig_sisi_49のアカウントをあまり見なくなった。理由はずばり「フォロワーと仲のいいままでいたいから」である。兼てより仲のいいフォロワーには何度か言っただろうが自分は自分のフォロワーのことが本当にだいすきだ。どのくらい?一緒に食事に行きたいくらい。その人のキャストレアやファンダカードや37カードが欲しいくらいすきなフォロワーも複数人いる。作って売ってください。赤ん坊の頃から何かしらのオタクをやっているがこういう、フォロワーと顔を合わせフォロワーと直接語り合いフォロワーと友好的な関係になるということはドリフェス!で初めてだった。オタクは続けるモンだね。フォロワーにはいつも感謝している。加えてドリフェス!は自分に様々な初めての経験をくれた。
だからこそそんなフォロワーのいるTLを見るのが最近少し億劫になっている。自分が総意と違う意見を抱えることが、どこか申し訳なく思えてくる。ドリフェス!関連の何かしらが終わりを迎えると「どうして!?」「ありえない」「信じたくない」「お問い合わせフォームはこちらです!」といったツイートがタイムラインに羅列する。フォロワーはもう活動休止を受け入れ前を向いている。抗うことに尽力しているフォロワーもいる。色んなコンテンツのRTが沢山流れる活発なタイムライン。次元を問わず、フォロワーはみんな新たにすきなもの、打ち込めるものを見つけている。立ち止まっている自分にとって大変複雑なところではある。自分はまだ、新たに何かを深く愛すことができそうもないからだ。
自分が思うに、ドリフェス!が終わってしまったのはプロジェクト側とユーザー側双方の金銭の不足が原因だ。これは個人的な例だが、自分は今も昔も金銭的に余裕のある職種ではない。だいすきなドリフェス!プロジェクトにすら金を渋り、購入していない物も参加していないイベントも複数ある。あ〜あ莫大なお金をくれる人と友達だったらな〜!と何度も大の字で天を仰ぐような生き方でここまで来ている。それでも生活をそれなりに切り詰めてこのすきという気持ちを貫いてきた。その日1日食べたものより高いガチャを引いて少し虚しくなること複数回。何とか課金できるようにという思いで働いていた。自分が一家の大黒柱だったら失格だ。失言かもしれないが家庭持ってなくてよかった。ドを推してますが子育てもしてます!という方を何人か存じ上げているが本当に凄いと思う。マジで。サウイフモノニワタシハナリタイ。多分なれない。
自分語りになるが、ドリフェス!に出会うまで生きたコンテンツを推していなかったと言っても過言ではない人生だった。すきになった時には既に解散しているバンド、すきになったもののそのコンテンツのオタクは数えるほどしかいないドマイナーなゲーム、死は自分のすきなものにつきものだった。むしろ死は当然だった。もちろん死した後に蘇ることもある。レベッカTHE YELLOW MONKEYELLEGARDENはちゃんと舞い戻ってきた。でも一度弾けたものがまた一つに纏まることが稀なのは確かで、みんながみんな戻ってこれる訳ではない。弾けた先に新たな道を見いだせることもある。自分のすきなバンドはきっとそのタイプ。先日とある雑誌の表紙でそのバンドのボーカルとギターの顔を見たが元気そうだった。楽しそうで何より。
終わらないでほしいと願いメールや手紙を何度もしつこく送ったこともあった。後者のドマイナーなゲームに、である。奇しくもバンダイナムコエンターテイメントアーケードゲームだったが置いてあるゲームセンターは少なくなかったのに非常に無名なゲームだったように思う。ストーリー性も悪くなくキャラクターも皆大変格好良かった。しかしその良さに気づいていたのは自分と二次創作サイトで繋がった数人のみだったらしい。されど残念ながら何事にも永遠などない。複数あったサイトも次々と閉鎖し、意気投合したように思っていたサイトの管理人とは現在音沙汰ない。それでも、と発起してとりあえず1ヶ月に1回以上は「必ずプレイするから続編を出してくれ」という旨のメールを送り続けた。短文だと伝わらないかなと考えて長文で何度も送った。7年経っても返事がない時はへこたれかけたが前作から8年強の時を経てついに続編を出してくれたときは心から救われたような気がしたことは忘れられない。続編があまり面白くなかったことはこの際論点ではないので割愛したい。要するに一度終わりを迎えたものに息を吹き返してほしい際は持続的に声を上げ、その声が届いた時にちゃんと迎え入れてあげることが一番だと身にしみて感じているということである。活動休止したコンテンツを飛行機、ファンを誘導灯に例えれば、一度新たな道へ飛び立ったコンテンツは光(熱量や声、お金ともいう)で指し示す他ない。不安定だったり光のない所へ飛行機は降り立たない。確かな愛と金が見えなければ再び降り立つことを賭けられないからだ。イケるっしょ!だけでは無理っしょ!なのである。イケるっしょ!でイケているなら活動休止なんて迎えてないに決まっている。イケてたなら今頃アプリのランボかポイボにグレープヴァインver.いつき/千弦が出ている。You are my RIVALもシナリオもOVER THE SEVEN SEASもMagnetic Emotionも14人のソロ曲も、個人的にすきなMAY BE, LADY!!もFuture Voyagerも叩き放題だっただろう。コンテンツ側は根拠や利益のあるイケるっしょ!を欲しがるものである。悲しいが、終わらせてしまったのは少なからず自分のせいでもあるのかもしれないということを忘れてはいけない。これは自戒でもある。というか自戒でしかない。ごめんねドリフェス!プロジェクト。

ドリフェス!を救いたかった。片桐いつきに毎月50億円振り込みたかった。優しいいつきだからこんな大金貰えませんよ!って遠慮するかもしれない。推しはいつだっていい子なんですよね。じゃあ片桐製菓が上場したら筆頭株主になりたかったな。自分名義でおっきなフラスタ出してだいすきなフォロワー達と人類の末っ子に笑われたかった。やりたいこと、まだ沢山あったな。後悔は山のように、でも感謝も山のように。敗因はいつも、金と持続的な熱量だった。ところが自分たちは勝者でもある。このサイコー超えてるコンテンツに出会えたときから自分たちは勝者なのだ。永遠なんてなくて、金と持続的な熱量は大事ってことが身にしみて分かっただけで勝ちです。

以上つらつらと書き連ねてはみたが、初めてコンテンツの休止に鉢合った自分が今後覚えておきたいことは3つだった。
・お金と熱意は大事ということ。
・コンテンツには定期的に声を上げ続けること。
・人に自分の価値観を押し付けないこと。
どれも大事なことだけどいつも忘れがちで、コンテンツが活発なときは思い出せなくなることもある。思い出せなかったからドリフェス!が救えなかったんだと思う。自分のできることなんて限られてるんだけども。

あの日からぽちぽちと別のコンテンツを触ってはいるがぽっかり空いた穴は埋まらない。だけど今はフォロワーに遊んでもらってる。くだらない話に乗ってくれたり新しいゲームに誘ってくれたり一緒に女児ゲしたりご飯に行ったり。お陰で毎日たのしい。本当にありがたい。ドリフェス!のようにまた熱く打ち込めるものに会えるときが来るかもしれないし、これほどすきだったコンテンツの名前すら思い出せなくなる日が来るかもしれない。どっちが早いでしょうね?それは明日の先でわかること。今はそれまでゆっくりしています。総意に複雑な思いがあるならば自分から引けば済む話。100のうち99を動かすよりも1を動かす方が簡単だ。単純明快なこと。赤ちゃんでも分かる。今はまだドリフェス!に縋ってる救いようのない未亡人だけど、フォロワーがすきなものに熱中する姿が自分はだいすきです。貴方のすきなものをもっと見せて、聞かせてください。だいすきなフォロワーみんなの幸せな推しライフを心から願っています。